名古屋地方裁判所 平成11年(行ウ)17号 判決
原告 成瀬志保
右訴訟代理人弁護士 野田房嗣
同 浦部和子
被告 名古屋北労働基準監督署署長 森下順行
右指定代理人 長谷川鉱治
同 棚瀬弘康
同 藤島博樹
同 土屋隆司
同 堀田利美
同 山口喜義
同 三浦建治
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告が、原告に対し、平成六年一〇月二六日付けでなした労働者災害補償保険法による遺族補償年金等支給に関する処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
一 当事者間に争いのない事実
1 原告の地位
原告は、成瀬又高紳(昭和二六年八月一八日生、以下「亡夫」という。)の妻であり、両名の間には長男太郎(昭和五七年六月四日生)がある。
亡夫は、台北市に業務で出張し、平成六年四月二六日、飛行機で帰国途中、名古屋空港における同飛行機の墜落事故により死亡した。
したがって、原告は、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」または「法」という。)による遺族補償年金の受給権者である。
2 被告の処分及びその後の行政不服審査の経緯
原告が、被告に対し、遺族補償年金の請求をしたところ、被告は、平成六年一〇月二六日付けで、平成五年八月から平成六年七月までの月分の労災保険法による年金の額の算定に用いる給付基礎日額の年齢階層ごとの最低限度額および最高限度額を定める労働大臣の告示(平成五年労働省告示第八四号。以下「告示第八四号」という。)に定められている最高限度額金二万〇一八二円を年金給付基礎日額として、当該年金の額を三一一万六一〇〇円と算定し、これを支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)を行った。
原告は、本件処分について、その給付額を不服として、愛知労働者災害補償保険審査官に審査請求したが、審査官が、平成七年一〇月三一日付けでこれを棄却したため、さらに再審査請求に及んだが、これも棄却された。
なお、亡夫の被災時における平均賃金は二万六三三四円であった。
二 原告の主張
被告は、原告に対して、亡夫の被災時における平均賃金二万六三三四円を年金給付基礎日額として算出した四〇六万六〇〇〇円を支給すべきであった。しかるに、被告は、原告に対する支給年金額を三一一万六一〇〇円とした。
右の本件処分は、次の1ないし4の理由により違法である。
1 労災保険法の制度趣旨の逸脱
(一) 労災保険法の目的
労災保険法は、現在、団体保険からも社会保険からも脱皮した社会保障法として完成され、被災労働者の労働力の回復と労働者もしくはその家族の生活維持を図るため、国家が、被災労働者もしくはその遺族に対して、積極的・消極的損害を填補しようとする生活補償目的をもつ制度である。
(二) 労災の特殊性
労働災害が労働関係から生じるということは、<1>企業に危険が内包されており、労災はその危険の現実化であること、<2>労働者が使用者の指揮監督命令の下で労働しなければならないこと、この二点における特殊性を意味しており、ここに労災と一般の私生活上の災害との異質のモメントがある。
(三) 労災保険法の特殊性
労災保険法は、企業への従属的な労働者の存在形態に着目しつつ、しかし、産業構造的な全般的危険に対応する補償装置として、労働関係的基盤と特質を生かしつつ社会保障法へと結合しているところにその特殊性がある。
労災は個々の企業主体の主観的要素を越えた産業構造的必然性をはらんでいるという認識は、責任保険からさらに独特の社会保険としての労災保険法への制度的転換の契機となった。すなわち、個別的な労働契約の法理に従えば、労働災害に対する補償は原則的には個別的企業の責任領域において処理されるが、個別企業の責任から企業全体の連帯責任への変化の過程は、危険団体の捉え方と保険の技術的特性に媒介され、必然的に社会保障法へと発展したのであった。
そして、現在、政府が企業主体から保険金を強制的に徴収し、それを原資として、全企業における労災補償に充当するという労災保険制度が運営されている。
こうした制度的趣旨からすれば、労災保険法は、本来的な企業の労働者に対する労災関連の責任=補償内容を可及的に保障する内容でなければならない。
(四) 本件処分の制度趣旨の逸脱
ところが、本件処分は、次のとおり、労災保険法の制度趣旨を逸脱し、被災労働者の遺族に甚だしい差別的取扱いを来しており、その不合理性は甚だしく違法である。
(1) 上限設定
<1> 年金計算
労災保険法の遺族年金給付額は、受給権者と生計を同じくしている受給資格者の人数に応じて定められている。本件では、受給資格者の合計が二人であるから、遺族補償年金の給付額は給付基礎日額の一九三日分とされている。
<2> 上限設定
ところで、年金給付基礎日額について、昭和六一年の法改正により、同六二年二月一日以降新規に年金を受けることとなるものについては、労災保険給付に関する各種年金(給付基礎日)額に最高限度額が設定された。すなわち、当該年金たる保険給付を受けるべき労働者の年金給付基礎日額が、当該労働者の基準日における年齢の属する年齢階層にかかる最高限度額を超える場合、右金額を最高限度額として設定することとなったのである(法八条の三、二項、同八条の二、二項二号)。
<3> 不適用者の存在
しかし、昭和六二年一月三一日において年金たる保険給付の受給権者で、同一の業務上の事由または通勤による障害または死亡に関し、同年二月一日以降においても年金たる保険給付を受ける権利を有するもの(以下「経過措置対象者」という。)は、同日以降において受ける権利を有する年金たる保険給付の同日以後の期間に係る額の算定にあたっては、同年一月三一日における法八条の給付基礎日額(施行前給付基礎日額)が被災労働者の年齢の属する年齢階層の最高限度額を超える場合であっても、施行前給付基礎日額を法八条の二の年金給付基礎日額とすることとされている(昭和六一年改正法付則第四条第一項関係)。
そして、年金たる保険給付が遺族補償年金である場合にも右経過措置が適用されている(同条二項関係)。
<4> 差別的取扱いの存在
このように、従来の保険受給権者のうち、昭和六二年に設定された最高限度額以上の給付を得ていた受給権者は、改正後の最高限度額以上の給付基礎日額によって計算された年金をいわば既得権として保護されているが、本件のような昭和六二年度以降の被災労働者の遺族は、給付額に上限額を設定されてしまうこととなった。
(2) 不合理な差別(その一)
遺族年金に上限が設定されなかった場合には、原告は、年額四〇六万六〇〇〇円(四捨五入)の支給が得られていたにもかかわらず、右上限の設定により、三一一万六一〇〇円へと低減することとなった。両者の差額は年間九四万九九〇〇円にも達する。
これは、告示第八四号不適用の被災労働者と対比してほぼ三分の一を減額するという処分であり、その低減の甚だしさにおいて、不合理な差別的取扱いというしかない。
(3) 不合理な差別(その二)
給付基礎日額二万〇一八二円は、月収六〇万五四六〇円の労働者の数値である。本件処分では、亡夫の給付基礎日額は二万〇一八二円とされているが、亡夫は右月収額の稼働能力に相応する労働者であると評価されているのと同様であり、原告は右月収の遺族への給付と同一のものしか保障されていないのである。
すなわち、亡夫は約二〇万円の月収差がある労働者と同一に評価され、原告らにはその労働者の遺族と同一の生活補償しかされていない。しかし、月収においてかかる巨額の差異のある労働者の生活水準が異なることは自明である。
労災保険法が、遺族に対し、被災労働者によって得ていた生活を維持させようとしているにもかかわらず、それ以下の稼働能力の労働者の家族と同一の水準に固定している「年金上限設定」が、被災労働者の遺族の生活維持という制度の中枢的理念に抵触し、著しく合理性を欠如しており違法であることは明らかである。
(4) 照応の原則の逸脱
労災保険法は、原則的に、制度運営を労賃に応じた企業の負担としている。これは、労災保険法が社会保障法へと脱皮しても、企業の労働者への労災補償をその中核原理として保持しているからである。
言うまでもなく、個別的労使関係における労災事件での損害賠償額は、原則的に賃金額に照応している。これは、労賃に応じた相応の補償がなされるべきであるという照応の原則に依拠しているからである。
右の照応の原則は、事業主が負担している労災保険の保険料の側面からも言い得る。労災補償保険において事業主負担にかかる保険料は、事業主の支払う賃金総額を算定基礎とされているが、その賃金総額とは、事業主がその事業に使用するすべての労働者に支払う賃金の総額とされている(労働保険徴収法一一条二項)。これは、労災保険制度の制度趣旨が、「労働者の収入に応じてその消極的・積極的損害を填補する」ことに対応している。
賃金の大きい労働者には大きい補償がなされるべきであるからこそ、こうした賃金額に対応した保険料金が徴収されているのである。そもそも、労災保険法は、個別企業の個別的労災補償を保全するために制度的な進展を見たという歴史的背景があるが、それゆえに、保険料は労働者の収入に応じて算定されている。
この照応の原則は、遺族の生活保障という意味においても貫徹されるべきである。被災労働者に依存して維持されていた生活水準を可及的に保全しようという労災保険法の趣旨からすれば、労賃=徴収金に比例した年金ということを殊更排斥するいかなる合理的な理由も根拠もないからである。
ところが、昭和六一年の法改正により、昭和六二年を画し、その前後の被災労働者を差別することによって、いわば「垂直的」照応を欠如させることとなり、しかも上限設定して稼働能力の高度な被災労働者への給付をそれ以下の労働者と等しく扱うことで、いわば「水平的」照応を損なうこととなり、右労災保険制度において合理的に貫徹されなければならない照応の原則を著しく逸脱することとなった。
(5) 結論
右のとおり、昭和六一年の労災保険法の改正と、右に準拠した告示第八四号による遺族年金支給処分は、昭和六一年後に被災した労働者の遺族への給付内容=個別的救済内容を何ら合理的理由もなく著しく不利益に変更し、その制度趣旨を甚だしく逸脱し、原告に対して甚大な不利益をもたらした。
遺族年金に上限を設定する労災保険法八条の三、二項、八条の二、二項二号及びこれに準拠した告示第八四号に基づく本件処分は、労災保険法の制度趣旨にもとり、著しく不合理な差別をもたらすものであって違法である。
2 憲法一四条違反
前記のとおり、昭和六一年の労災保険法の改正前後によって、被災労働者の遺族への補償内容には著しい差別がある。死亡時期という偶然的要因によって、遺族への補償内容に甚だしい差異を生じさせているのである。
これは、従来被災労働者の遺族に平等に付与されていた権利ないし利益について、これを奪い、制限する処分であり、まさに右処分によって原告は不当に差別されている。
右のとおり、本件処分はもとより昭和六一年度の法改正及びこれに基づく告示第八四号は、憲法一四条に違反しており無効である。
3 憲法二五条二項(政府の社会保障向上義務)違反
いったん到達した社会保障給付水準は、合理的理由がなければこれを廃止することも、切り下げることもできない。すなわち、憲法は、行政機関・立法機関を問わず、国家に対して、その国民への社会保障水準を絶えず上昇させることを規範的義務として課しているからである。憲法二五条二項の国の「向上増進義務」、あるいは国際人権規約第一一条一項の「生活条件の不断の改善についての権利=生活向上権」は、社会保障法における給付内容に関する国家への義務規範である。
ところが、昭和六一年度の労災保険法の改正は年金に上限を設定し、そのため、原告は、従来労災保険法という社会保障制度上受給できると期待していた遺族年金額より遥かに低減した年金しか受給できなくなった。
右のごとき労災保険法の改正及びこれに準拠した告示第八四号、そして本件処分は、憲法二五条二項に反し違憲であり無効である。
4 期待権の侵害
亡夫は、生前、雇用主が亡夫の給料に応じて負担してきた保険料(実質的には亡夫の負担)から、自らが労災事故に遭遇した場合には自己の給料に応じた補償を受けるものと期待してきた。ところが、最高限度額の設定は、原告に対し、年金額の低額化という個別的な不平等をもたらした。そのため、亡夫ひいては原告の右の期待権が損なわれた。
しかして、右の期待権は、「制度的な期待権」ともいうべきものである。国は国民に対して、社会保障水準を絶えず上昇させなければならないという規範的な向上義務がある。かかる国からの給付であるから、亡夫ひいては原告には社会補償水準を低下されないという一種の期待権が存在する。これは、憲法二五条二項の国の向上増進義務、国際人権規約一一条一項の「生活条件の不断の改善についての権利=生活向上権」にその根拠を有する。
右の期待権の侵害は、右法規範に違反して無効との法的効果を有するものである。
三 被告の主張
1 労災保険給付にかかる年金給付基礎日額の最高限度額・最低限度額導入の経緯等
(一) 労災保険法改正(昭和六一年法律第五九号)の経緯
(1) 労働者災害補償保険審議会の建議
労働者災害補償保険審議会(以下「労災保険審議会」という。)は、昭和五七年七月、その内部に公・労・使各側の代表によって構成される労災保険基本問題懇談会(以下「基本問題懇談会」という。)を設けて、昭和五五年の法改正後も残されていた検討課題等について検討を行なうこととなった。
しかして、基本問題懇談会は、昭和六〇年一二月一七日、労災保険審議会に対し、次の内容の報告を行なった。
「労働者災害補償保険制度の改善について
労災保険制度は、制度発足以来度重なる制度改正を経て、その給付水準は、ILO第一二一号勧告の水準を満たし、西欧先進国に比肩しうるものとなっている。また、この間労働福祉事業の整備も逐次図られ、我が国の労災保険制度は、災害補償を中心としつつも使用者責任を背景とする総合的な保険制度に発展を遂げていると言ってよいであろう。このように既に充実した内容を有する労災保険制度ではあるが、現在次のようないくつかの問題点を指摘することができる。
即ち、制度面において公平を欠くと考えられる点、均衡を失くしていると考えられる点等の不合理な問題が生起してきていることである。例えば、保険給付の中心を占める年金制度下において若年時被災労働者が低額の年金のまま据え置かれることが多いのに対し、壮年時被災労働者の場合には高額の年金が支給される場合があるなど受給者相互の格差の問題がある。
また、高齢時における労働者の稼得能力は一般に低下するにもかかわらず、労災年金額は低下するしくみになっていないこと等、労働災害により失われた労働者の稼得能力の補てんを行う労災保険制度の本来の趣旨・目的に照らして疑問があるばかりか、最近改正が行なわれた厚生年金、国民年金等他の公的年金と比べ受給額に格差が生じていることも問題である。
(中略)
当懇談会としては、このような実情を十分に考慮し、労災保険制度について次のような考え方に基づき、具体的には当面下記の措置を講ずべきであるとの結論に達するに至った。
(1) 制度上不公平、不均衡と考えられる点については、公平の観点からその是正を図ることが労災保険制度の健全な発展にとって不可欠である。とりわけ被災労働者の稼得能力の適正な評価を通じ労災年金受給者相互間及び労災年金受給者と一般労働者との間の公平を図る見地から、労災年金制度に年功賃金体系の要素を加味する等その充実・整備を図ることが現下の急務と考える。
((2) ないし(4) は省略)
記
1 主として公平、均衡を図る観点から措置を講ずべき事項
(一) 年金に関する給付基礎日額の年齢階層別最低保障額・最高限度額の設定
現行の年金については、給付額が被災直前三か月間の賃金に基づいて算定されることもあって、若年時被災労働者については雇用継続により期待される年功賃金が反映されない憾みがあり、また他方では、きわめて高額の年金受給者が存在し著しく均衡を失する等の問題があるので、次の点を考慮しつつ、年金の給付基礎日額に年齢階層別の最低保障額及び最高限度額を設けるものとすること。
<1> 最低保障額及び最高限度額は「賃金構造基本統計調査」をもとにして、年齢階層ごとに当該年齢階層に属する労働者の大半が受けている賃金の実態を考慮して定めること
<2> 最高限度額の設定に当たっては、ILO第一二一号条約の規定を満たすこと
<3> 最低保障額は現行の最低保障額を下回らないこと
<4> 既裁定者については、その者が法改正時に受けている給付基礎日額を保障するが、新規裁定者との均衡を考慮し、その額が最高限度額を越える間スライドの適用につき所要の措置を講ずること
(以下略)」
そこで、労災補償審議会では、右報告を審議した結果、同報告の趣旨にそって制度改善を速やかに行なうべきであるとの結論に達し、昭和六〇年一二月一九日、その旨労働大臣に対し建議を行なった。
(2) 労働省の労災保険審議会等への諮問等
これを受けて労働省では、法律改正を要する事項について、次のような「労働者災害補償保険法及び労働保険の保険料の徴収等に関する法律の一部を改正する法律案要綱」を作成し、昭和六一年二月一〇日、労災保険審議会に諮問したところ、同審議会は、昭和六一年二月一四日、右諮問を了承する旨の答申を行なった。
また、労働省では、同年二月一七日、同法律案要綱について社会保障制度審議会に諮問したところ、同月二一日、同審議会は、右諮問をおおむね了承する旨の答申を行なった。
(3) 労働省の法律案提出
労働省では、これらの答申を考慮しつつ、次の内容の「労働者災害補償保険法及び労働保険の保険料の徴収等に関する法律の一部を改正する法律案」を作成し、昭和六一年三月一五日、第一〇四回通常国会に提出した。
「第一 労働者災害補償保険法の一部改正(要旨)
一 保険給付の内容等の改正
(一) 年金たる保険給付に係る給付基礎日額の改正
1 年金たる保険給付に係る給付基礎日額について、労働者の年齢階層別の賃金の実態を基礎として労働者の年齢階層ごとに最低限度額及び最高限度額を定め、その給付基礎日額(スライド制の適用がある場合は、スライド後の額)が、労働者の年齢の属する年齢階層に応ずる最低限度額を下回り又は最高限度額を超える場合には、当該最低限度額又は最高限度額を給付基礎日額とすること。
(中略)
二 経過措置
(一)の改正に伴い、その施行時において年金たる保険給付を受ける権利を有している者については、当該施行時における当該年金たる保険給付に係る給付基礎日額(スライド制の適用がある場合は、スライド後の額とする。)が(一)の最高限度額を越える場合には、当該給付基礎日額を基礎として給付額を算定することとし、当該超える間は、スライド制を適用しないこととすること。
(以下略)」
右改正法案は、昭和六一年四月二二日、衆議院本会議において賛成多数をもって可決され、参議院本会議においても、同年五月一六日、原案どおり賛成多数で可決され、成立した。
(二) 昭和六一年の法改正の趣旨
前記のとおり、労災保険制度は、制度発足以来度重なる制度改正を経た結果、その給付水準は、ILO第一二一号勧告の水準を満たし、西欧先進国に比肩しうるものとなっており、この間、労働福祉事業の整備も逐次図られ、我が国の労災保険制度は、災害補償を中心としつつも使用者責任を背景とする総合的な保険制度に発展を遂げてきたものの、以下のような不合理な問題が生起してきていた。
(1) 保険給付の中心を占める年金制度下において、若年時被災労働者が低額の年金のまま据え置かれることが多いのに対し、壮年時被災労働者の場合には高額の年金が支給される場合があるなど、受給者相互の格差の問題があった。
(2) 高齢時における労働者の稼得能力は一般に低下するにもかかわらず、労災年金額は低下するしくみになっておらず、労働災害により失われた労働者の稼得能力の補てんを行う労災保険制度の本来の趣旨・目的に照らして疑問があった。
(3) 年金給付基礎日額は、原則として、被災前三か月の平均賃金を基礎として算出するものとされているところ、失業中のアルバイト等何らかの偶発的な事情により低賃金で就労中に被災した場合や、あるいは長時間に及ぶ残業等何らかの偶発的な事情により平均賃金算定期間に著しく多額の賃金を得た場合等の年金給付基礎日額は、このような偶発的な要素に左右されることがあり得ることから、年金のように給付期間が長期間に及ぶものの基礎としてはこれを是正する必要があった。
(4) 改正が行なわれた厚生年金、国民年金等、他の公的年金と比べ受給額に格差が生じていた。
しかして、昭和六一年の法改正は、これらの不均衡、不平等を是正するとの立法目的に基づいて行われた合理的なものであった。
2 年金たる保険給付にかかる給付基礎日額の最高限度額・最低限度額の算定について
(一) 算定方法等
年金給付基礎日額の最低限度額は、年齢階層ごとに、当該年齢階層に属する労働者の受けている一月当たりの賃金の額の第1・二十分位数を、年金給付基礎日額の最高限度額は、年齢階層ごとに、当該年齢階層に属する労働者の受けている一月当たりの賃金の額の第19・二十分位数をそれぞれ基礎とし、労働者の年齢階層別の就業状態その他の事情を考慮して定めるものとされており、その詳細は労働省令に委任されている(法八条の二第二項、第三項、乙第一、第二号証)。
なお、第1・二十分位数とは、労働者を賃金の低い者から高い者へ並べ、低い方から五パーセント目の労働者が受けている賃金額であり、第19・二十分位数とは、高いほうから五パーセント目の労働者が受けている賃金額をいう(乙第三号証)。
(二) 年齢階層
労働者災害補償保険法施行規則(以下「労災則」という。)九条の三により、労働省令で定める被災労働者の年齢階層は、二〇歳未満、二〇歳以上二五歳未満、二五歳以上三〇歳未満、三〇歳以上三五歳未満、三五歳以上四〇歳未満、四〇歳以上四五歳未満、四五歳以上五〇歳未満、五〇歳以上五五歳未満、五五歳以上六〇歳未満、六〇歳以上六五歳未満、六五歳以上の一一の階層に区分されている。
(三) 最低限度額及び最高限度額の算定方法等
労働省令で定められた年金給付基礎日額の最低限度額及び最高限度額の算定方法は、次の(1) から(5) までのとおりである(労災則九条の四第一項から六項まで)。
(1) 前年の賃金構造基本統計調査(以下「賃金構造統計」という。)の調査票により、五人以上の民営事業場に雇用される常用労働者(パートタイム労働者を除く。)の「きまって支給する現金給与額」(月額)の年齢階層別の第1・二十分位数(月額)及び第19・二十分位数(月額)を男女別に求める(乙第一号証)。
(2) (1) で求めた第1・二十分位数(月額)及び第19・二十分位数(月額)をそれぞれ三〇で除して日額に換算する。
(3) 労災年金に係る被災労働者の男女別割合を考慮して、(2) で求めた男女別・年齢階層別の第1・二十分位数(月額)及び第19・二十分位数(月額)を、それぞれ労災年金に係る被災労働者の男女割合で加重平均する。
(4) (3) で求めた第1・二十分位数(月額)を加重平均した額をそれぞれの年齢階層の最低限度額とし、第19・二十分位数(月額)を加重平均した額をそれぞれの年齢階層の最高限度額とする。
(5) 最高限度額については、ILO第一二一号条約(業務災害の場合における給付に関する条約、昭和四九年六月七日批准登録)一九条の規定によれば、給付額の計算の基礎となる賃金に最高限度額を設けるときは、すべての保護対象者七五パーセントの者と比較してこれに等しいか又はこれを超えることとなる賃金(すなわち、すべての労働者の賃金の第3・四分位数)以上であればよいとされているところから、(1) から(4) までにより算定された額が全労働者(男女計・年齢計)の賃金(月額)の第3・四分位数を三〇で除して日額に換算した値に満たない場合には、当該第3・四分位数を日額に換算した値を当該年齢階層の最高限度額とする(労災則九条の四第四項)。また、最低限度額については、給付基礎日額の最低保障額(労災則九条一項四号本文=現在では三九六〇円)に満たない場合には、その額を当該年齢階層の最低限度額とする(労災則九条の四第二項、乙第二号証)。
(四) 本件についての具体的検討
平成四年に実施された賃金構造統計の五人以上の民営事業場における常用労働者(パートタイム労働者を除く。)のきまって支給する現金給与額の性別・年齢階層別の第1・二十分位数及び第19・二十分位数を基にして、右(三)の算定方法によって計算すると(円未満の端数切上げ)、亡夫の年齢階層(四〇歳以上四五歳未満)に該当する最低限度額は七一九五円、最高限度額は二万〇一八二円となる(乙第一号証)。
また、右の「きまって支給する現金給与額」の男女計・年齢計の第3・四分位数は三七万四〇〇〇円であり、これを三〇で除して日額換算(円未満の端数切上げ)すると一万二四六七円となり、これがすべての保護対象者の七五パーセントの者の額であるので、年齢階層別の第19・二十分位数のうち一万二四六七円を下回るものについては、最高限度額を一万二四六七円とすることになる(乙第二号証)。
右のとおり、亡夫の該当する年齢階層の最高限度額は二万〇一八二円であり、ILO第一二一号条約の規定の水準一万二四六七円を十分に満たしているものである。
3 昭和六一年の法改正が違法、無効でないこと
(一) 昭和六一年の労災保険法等の改正により、従来最低限度額及び最高限度額が設けられていなかった年金に関する給付基礎日額について、年齢階層別最低限度額及び最高限度額が新設された。当該改正は、被災労働者の稼得能力の適正な評価及びこれに基づいた補償の実施という制度の趣旨に照らし、従来不公平不均衡と考えられていた点について、公平の観点からその是正が図られたものである。
(二) 右法改正について、原告は、「従来被災労働者の遺族に平等に付与されていた権利ないし利益について、これを奪い・制限する処分であり、右処分によって原告は不当に差別されている。本件処分はもとより、昭和六一年度の年金支給額に上限を設定した法改正及びこれに基づく告示第八四号は、憲法一四条に違反しており無効である。」と主張する。
しかしながら、当該法改正は、従来の制度に内包されていた「保険給付の中心を占める年金制度下において、若年時被災労働者が低額の年金のまま据え置かれることが多いのに対し、壮年時被災労働者の場合には極めて高額の年金が支給される場合があるなど受給者相互の格差が生じ、生涯にわたりこれが解消されないこと」及び「高齢時における労働者の稼得能力は一般に低下するにも関わらず、労災年金額は低下する仕組みになっていないこと」等、労働災害によって失われた労働者の稼得能力の補填を行う労災保険制度の本来の趣旨・目的に照らして問題が存在していたところ、右問題について、被災労働者相互間及び被災労働者と一般労働者間の公平、均衡を図る観点から措置を講ずるべき事項であるとして改正されたものであって、憲法一四条の趣旨に照らしても合理的な区別というべきものである。
したがって、右法改正の前後によって年金の受給額に差異が生じたことをもって、不合理な差別とはいえず、右法改正に基づいてされた本件処分が違憲無効であるということはできない。
(三) また、原告は、「労災保険法上の受給権は、憲法二五条の生存権的基本権を具体化したものである。」、「憲法二五条二項の「向上増進義務」は、(中略)、社会保障法における給付内容に関する国家への義務規範である。」などとし、本件処分が憲法二五条二項に反し違憲である旨主張する。
ところで、最高裁判所は、憲法二五条について、「右規定について「健康で文化的な最低限度の生活」なるものはきわめて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがって憲法第二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ない場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。」と判示し(最高裁昭和五七年七月七日大法廷判決、民集第三六巻第七号一二三五頁)、いわゆる社会的立法に関して立法権に広い裁量を認めている。
しかして、本件処分の根拠となった当該法改正に伴う政省令の改正によって規定された給付基礎日額の最高限度額は、前年度の賃金構造統計の調査票により、五人以上の民営事業所に雇用される常用労働者(パートタイム労働者を除く。)の「決まって支給する現金給与額(月額)」を基礎に算定され、民営企業における男女別・年齢階層別の上位九五パーセントの賃金水準に位置する労働者の賃金を基礎として算定されているものであって、ILO第一二一号条約第一九条の規定による給付水準も満たしている水準の高いものであるから、右算定によって設定された最高限度額は憲法二五条二項に違反するものではない。
4 最高限度額の設定が亡夫(原告)の期待権の侵害に当たらないこと
(一) 原告は、最高限度額の設定により年金額の低額化を招き、期待権を侵害されたと主張するが、労災保険法八条は、「平均賃金を算定すべき事由の発生した日は…若しくは死亡の原因である事故が発生した日…とする。」と定めているのであるから、平成六年四月二六日に業務災害を被った者の具体的保険給付の内容は、右業務災害発生日に適用される労災保険法の規定によって定まるものである。
したがって、亡夫が期待したとすれば、右死亡当時における労災保険法に基づく給付内容であり、既に法改正後七年以上を経過している改正前の給付内容を期待するはずはないから、亡夫ひいては原告の期待権が損なわれているということはないのである。
(二) 原告は、右の期待権は「制度的な期待権」ともいうべきもので、国は国民に対して社会保障水準を絶えず上昇させなければならないという規範的な向上義務があるところ、亡夫ひいては原告は右の期待権を侵害されているとも主張するが、前述のとおり、亡夫ひいては原告の期待権が損なわれていることはないのである。
また、国際人権規約一一条一項の「…自己及びその家族のための相当な食料、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準について並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める。」との規定はきわめて抽象的・相対的な概念であり、その趣旨は、単に努力責任を明確にしているものにすぎず、これらをもって期待権の侵害の根拠とするのは原告の独自の見解といわざるを得ない。
本件法改正に伴う政省令の改正によって規定された給付基礎日額の最高限度額は、従来適用してきた制度上の不公平、不均衡の是正を目的としたものであって、その具体的内容も合理性があり、憲法二五条二項及び国際人権規約一一条一項の各規定に反するものではない。
四 被告の主張に対する反論
1 被告は、法改正に当たり旧法が不公平、不均衡と考えられた点の一つとして、「若年時被災労働者が低額の年金のまま据え置かれることが多いのに対し、壮年時被災労働者の場合には高額の年金が支給される場合があるなど、受給者相互間に格差があったこと」を挙げる。しかし、この主張には次のような欠陥がある。
(一) 最高限度額の設定によって被告主張の格差を解消することはできず、最高限度額の設定と格差是正との間には合理的関連性がない。若年被災者層と壮年被災者層の年金格差は、我が国の年功序列賃金体系を背景とするものであり、基本的には従前の賃金に照応する給付という原則によるものである。
労災保険法八条は、給付基礎日額について、労働基準法第一二条の平均賃金に相当する額と定めているところ、平均賃金相当額は、これを算定すべき事由の発生した日以前三か月内に支払われた賃金を基にして算出される。要するに、給付額は賃金に基づいて算出されるが、若年層には低賃金が、壮年層には高賃金が支払われている実態からすると、若年時被災労働者と壮年時被災労働者の年金格差は縮まらない。年金支給額と年功序列賃金との連動を撤廃しなければ解消されないものである。したがって、最高限度額を設定しても、当初の年金算定基礎を見直さない限り、若年被災者層と壮年被災者層との年金格差は縮まらないことが明らかである。
(二) ところで、若年時被災の年金受給者は、一般的には年功序列賃金制度に裏づけされた低賃金により家計を維持してきた。被災労働者自身や遺族の再雇用の可能性は、壮年時・高齢時被災の年金受給者と比べても大である。
他方、壮年時・高齢時被災の年金受給者は、経年にわたり築き上げられてきた賃金を背景とする家計に維持されてきた。教育費等の増大する子供、介護費用の必要な老人等の扶養家族を抱えている。従前の生活実態に相応する生活費を一挙に低減できない状態にある。また、年金受給者も高年齢化し、再雇用の可能性は減少していく。
かかる実態に鑑みれば、若年時被災労働者と壮年・高齢時被災労働者の年金格差は合理性があるものであって、あえてこれを法改正の基本とする理由はない。
(三) また、若年時被災労働者の生涯受給年金額を総計すると、高齢時被災労働者が受給する額よりはるかに高額となり、逆に不合理性が生じている。
したがって、若年時被災労働者と壮年時被災労働者との間に年金格差があること自体が問題となるわけではない。
(四) 若年時被災労働者と壮年時被災労働者の年金の長期にわたる支給関係については、スライド制の運用方法によりその不均衡が解消されていくものである。「若年時被災者の年金が低額のまま据え置かれる」という意味は不明であるが、そのような実態があるとすれば、スライドの設定方法によって改善されるものである。最高限度額の設定とはほとんど無関係である。
2 被告は、法改正に至った理由として、「高齢時における労働者の稼得能力は一般に低下するにもかかわらず、労災年金は低下する仕組みになっていないこと」を挙げる。
(一) この点についても、年金の最高限度額設定との間に関連性があるとは思えない。年金の最高限度額を設定したところで、高齢者の年金が低下するわけではない。稼得能力が低下するにもかかわらず年金が低下しないのは、背景となる年功序列型賃金体系によるものであり、賃金額と年金額との連動を断たない限り、稼得能力に応じた年金額は設定できない。
(二) 被告は、一般の労働者は、通常六〇歳あたりで定年退職等により労働市場から引退し、収入はなくなるか、再雇用されても大幅な賃金低下がある一方、年金受給者は引き続き従前と同額の年金が支給されるという不均衡があるとする。
しかし、これは現実を無視した空論である。定年退職後の労働者は、社会保険による年金のほかに、再雇用による賃金も取得する。他方、被災労働者は年金を受給するのみである。遺族年金にあっては、稼得能力の低下とは関連性はない。
そもそも、高齢時における非被災労働者と被災労働者を比較してみても、年金受給制度の不公平、不均衡を解消する手段とはなり得ない。被災労働者の年金と一般労働者の年金の格差は最高限度額の設定により解消するものではなく、社会保険の相互調整や補完により是正されるべきものである。
3 被告は、失業中のアルバイト等、何らかの偶発的な事情により低賃金で就労中に被災した場合や、長時間に及ぶ残業等何らかの偶発的事情により平均賃金算定期間に著しく多額の賃金を得た場合等の給付基礎日額は、年金のような給付期間が長期間に及ぶものの基礎としては適当でないというが、これも最高限度額設定とかかわりがない。
従前の賃金に見合う給付という建前の下では、できるだけ個々の労働者の実情に即して適正な基礎賃金を設定すべきものであるところ、被災労働者の収入の実情を的確に反映させるためには、ある程度の期間の賃金の推移を見る必要がある。むしろ、給付基礎日額の算定は、被災前三か月に支払われた賃金から算出されるという点の見直しで足りるものであった。
4 被告は、厚生年金、国民年金等他の公的年金と比べて受給額に格差が生じていたとする。どの程度の格差が生じているのか被告の釈明はないが、労災保険制度の特殊性(損失填補、生活補償)からして、こうした公的年金制度と符節を合わせなければならないという合理性はない。
労災年金制度は、基本的には使用者責任の原理に基づいて、被災労働者及びその家族の生活保障を第一義的目的としている。これは厚生年金等、労働者自身が保険料を自ら負担する保険制度とは根本的に異なっている。所得保障面だけを強調し、労災保険制度の特殊性を無視して、これらの公的年金と符節を合わせることは合理的とは言えない。
5 被告は、現行の遺族年金はILO第一二一号条約、同一二一号勧告の水準を満たしており、かつ、西欧先進国に比肩し得る高水準となっている旨主張する。
しかし、次に述べるように、現行の遺族年金の支給額は必ずしも右水準を満たしているとは言えない。
(一) ILO第一二一号条約一九条1号は、「受給者又はその扶養者の従前の所得と標準受給者と同一の家族的責任を有する被保護者に支払われる家族手当との合計額」に一定の率を乗じた額(二子を有する寡婦で五〇パーセント)を最低基準としている。しかし、右の「従前の所得」の定義は明確ではない。同条2号で、従前の所得は「所定の規則」によって計算するものとされ、その定義は規則や国内の法令に委ねられている。また、右の「従前の所得」は、同条3号以下の「賃金」と同一かどうかはっきりせず、「従前の所得」、「賃金」をどうとらえるかによって給付の額は著しく異なることになる。
(二) また、同条3号で、「給付の額又は給付の計算に当たって考慮される所得については、最大限を定めることができる。ただし、この最大限は、受給者又はその扶養者の従前の所得が熟練男子筋肉労働者の賃金に等しいか又はこれより低い場合には、1の規定にしたがって定める」とし、同条6号で、熟練男子筋肉労働者の定義の一つとして、「すべての被保護者の七五パーセントの平均所得に等しいか又はこれを超える所得を有する者」を挙げている。
すなわち、給付額の最大限を定める場合、熟練男子筋肉労働者の賃金以上であることを前提とし、その熟練男子筋肉労働者とは、被保護者の七五パーセントの平均所得に等しいか又はこれを超える所得を有する者ということになる。つまり、被保護者の七五パーセントの平均所得以上の範囲で最大限を定めることになる。
しかし、「すべての被保護者の平均所得」のとらえ方により、従前の所得より下がってしまうこともあり得る。その場合は、原則に従い従前の所得を基準にすべきであるというのが、同条2号の率直な読み方である。要するに、最低でも従前の所得を基準にするというのがILO第一二一号条約一九条の建前である。
(三) 右(一)、(二)のとおり、被告のILO基準を満たしているという論拠は、ILO第一二一号条約一九条にいう「従前の所得」、「賃金」の概念のあいまいさ、条項の間での調整の不明確さにより、実際上は根底から崩壊していると言ってよい。
6 保険料徴収における賃金
(一) 被告は、保険料は雇用主から徴収するものであって、労働者から徴収するものではないとし、給付と保険料徴収との関連についての原告の主張を排斥している。
ところで、労災保険制度は、本来雇用主が個別に責任を負うべき労災事故につき、保険という形で使用者の責任を分担させると同時に、被災労働者の生活補償という社会保障制度としての目的を有している。保険料は、直接には雇用主である使用者から徴収されるが、その原資は労働の対価である。雇用主が自分の利益を削除して、その一部を保険料として拠出するものではない。労働契約において、労働者は自分の生み出す労働の対価から雇用主が保険料分を保有することを認め、労災事故に遭遇したとき、損害の補填と生活補償がなされるという期待権を持つのである。この雇用契約上の保険料拠出義務の内容を捨象して、雇用主が保険料を支払っているということ自体を挙げて、保険料と労働者の関係を断ち切る主張は本末転倒である。
(二) 保険料の算定基礎となる賃金にはボーナスも含まれる。これは、労基法一一条にいう賃金を算定基礎としているからである。
他方、労災給付にあっては、算定基礎は平均賃金である。したがって、ボーナスの支給額は従前の賃金から除かれる。つまり、保険料収入はボーナスを含む全所得により、支出はボーナスを除く三か月間の平均賃金で算定されるのである(なお、ボーナスについては、労災保険法上、保険給付とは別建てになっており、労働福祉事業の一環として遺族特別年金として給付されることになっている。しかし、これも算定基礎日額で一五〇日から二四五日の間で算出し、被災労働者がどんなに高額なボーナスを支給されていても、最高額は一五〇万円となっている。)。
このような不合理性が給付の低額化を招いているのである。この不合理性は、被告主張の「保険料収入と保険給付との収支が均衡するような財政の健全化を図る」ことと論理的整合性は全くない。ボーナスは収益配分的な性格や功労報酬的性格から、労働者に期待権が完全に保証されていないと被告は主張する。そうであるならば、かような臨時的な収入からも保険料を徴収するという意味では、保険料収入と保険給付の収支の均衡の健全化を図っているとは言えず、これを論拠とする理由に乏しい。
7 最高限度額の設定による給付額の低減
(一) 被告は、本件法改正は、従来の制度面における不公平、不均衡を是正するという立法趣旨、目的に基づいて行われた合理的なものであり、具体的にも著しく不合理ではないと主張する。
しかし、本来の年金給付基礎日額二万六三三四円で原告が八三歳まで生きたとして年金額を計算すると(特別年金は除く)、概算で一億四一二七万七五〇〇円となる。これに対し、最高限度額である給付基礎日額二万〇一八二円で原告の八三歳までの年金額を計算すると、概算で九三四九万四五〇〇円となり、生涯の受給年金額の差は実に四七七八万二〇〇〇円となる。これは著しい格差であり、不合理であること明らかである。
被告は、労災制度は被災時の被災労働者又はその遺族の生活を補填するものであって、生涯受給年金額と対比し得るものではないと主張するが、遺族年金は生涯にわたって給付されるものであり、休業補償など他の労災補償とは異なり、生涯の生活保障にかかわるものであるから、生涯受給年金額と対比して当然である。
(二) 原告も、労災保険制度が被災時の被災労働者又はその遺族の生活の補填という損失填補的性格を持つということを否定するものではない。
問題は、生活の補填の程度である。個別的な損害賠償であれば、積極損害、消極損害、慰謝料等により損害全てがカバーされる。労災保険の補填は、個別的な損害賠償とまではいかなくとも、少なくとも被災時の生活が維持される程度であるべきである。
ところで、亡夫の生前年収額(前年度)は一四四八万九三四〇円であったが、原告の年金支給額は三六三万一三〇〇円である。特別支給額七七万九一〇〇円を加えても三八九万五二〇〇円であって、従前の所得の二六・九パーセントにしかならず、被災当時の生活は維持されない給付となっている。
労災保険法は、本来最低の基準であるべきものであるが、本件法改正は原告に対して従前のレベル以下の生活を強いるものである。これは、労働者の遺族の生活維持という労災保険法の中枢的理念そのものに抵触し、著しく不合理である。
五 原告の主張に対する再反論
1 原告は、被災労働者の賃金に応じた保険料の徴収があるとして、その金額に応じた補償をすべきものであり、個々の被災労働者の給付内容が最高限度額によって制限されるのは照応の原則に反すると主張する。
ところで、労災保険制度は、災害補償責任が課せられた使用者が全産業的規模で集合し、団体的な責任において災害補償を行なうことができるように設けられたものであり、その財源は主として事業主による保険料でもって賄われ、その事業における業務災害の危険度の度合の高低によって保険料率が定められているものである。
すなわち、災害率が高い業種ほど労災保険率が高くなっており、したがって保険料の負担も多く、結果として保険料負担の公平を図っているのである。このようなことから、労災保険では他の社会保険のように保険料が全事業共通に一律ではなく、さらに中規模以上の事業については、メリット制の適用により、事業場ごとに保険料率が一定幅で上下する仕組みになっている。このように、労災保険では、「収入の均衡」と「公平な負担」を財政の基本原則としているのである。
したがって、保険料は各労働者から徴収されているものではないし、被災労働者の賃金額に応じて徴収されているものでもない。
2 原告は、労災保険制度の特殊性(損失填補、生活補償)からして、厚生年金等の他の公的年金制度と符節を合わせなければならないという合理性はないと主張する。
(一) 労災保険は、使用者の災害補償義務を公の保険制度により補償するというものである。
したがって、一義的な意味合いとしては無過失賠償責任に基づく損害賠償の性格を有し、この点においては、厚生年金保険その他の社会保険の給付と性格を異にしているものであるが、労働者の稼得能力を補填するという性格も有していることから、労働者又はその遺族の生活補償という機能を併せもつことになったのである。
さらに、昭和四一年法改正によって保険給付内容が年金給付に重点を移したことにより、労災保険の年金たる保険給付は、労働者の被った稼得ないし労働能力上の損失を填補するという損失填補的性格をもつだけではなく、スライド制導入により、労働災害がなかったならば当然生じていたであろう賃金の上昇を考慮するなど、被災者等の生活保障をはかる側面の機能強化がされたものである。
その結果、労災保険の年金給付は、所得保障的機能において、厚生年金等その他の社会保険の年金給付とかなりの共通性をもつに至ったのである。
(二) 厚生年金保険法は、その一条で、「労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とし、……保険給付に関して必要な事項を定めるものとする。」と規定し、同二〇条で、標準報酬月額について、標準報酬を一級から三〇級まで三〇の枠に分け、年金たる保険給付の額について事実上の上限(最高限度額)を設定している。
前述のとおり、労災保険は、年金たる保険給付については、厚生年金等その他社会保険の年金たる保険給付との間で、所得保障的機能をもつという共通性を有するに至ったことから、労災の年金たる保険給付額と厚生年金等その他社会保険の年金たる保険給付額とは符節を合せることが合理的といえる。
すなわち、労災保険の給付額が一〇〇〇万円を超えるなど、厚生年金等その他社会保険の給付額に比して著しく高いケースが生じていることは不合理で、かつ労災保険給付を受けない者に比して不平等といえるのである。
なお、昭和六一年第一〇四回労災保険法改正関係国会審議録において、政府委員は、「社会保険にいう標準報酬月額、これの最高が四七万円ぐらいと存じますが、日額に直しますと一万五千円強、こういう数字になっております。これは、私どもの賃金調査におきます二十分位数で見た場合にちょうど上五%を除いたところとほぼ見合う額になっております。男子の数字で見た場合。したがって、その五%というのを取り、したがって上で五%であり、下限についても五%という数字を適用することにしたものでございます。」と述べ、労災保険における最高限度額設定が合理的であることを説明している(乙第九号証)。
3(一) 原告は、若年時被災労働者と壮年時被災労働者との年金格差は合理性があり、あえてこれを法改正の基本とする理由はない旨主張するが、本件法改正の立法趣旨・目的を理解することなく、単に独自の見解を述べているにすぎない。
(二) 原告は、被災労働者またはその遺族の生活について、生計維持の方法や再雇用の可能性の有無にまで及ぶ独自の見解を主張しているが、前述のとおり、労災年金は労働災害によって失われた労働者の稼得能力の補填を行うことを制度の趣旨としているのであり、年金受給に関し、被災労働者や遺族の再就職の可否について考慮する必要性は存しない。
(三) 原告は、若年時被災労働者と壮年時被災労働者との生涯受給年金額を総計すると、総額は若年時被災労働者の方が多く不合理であると主張するが、労災保険制度は、労働災害により労働者の被った稼得ないし労働能力上の損失を填補するという損失填補的性格を持つものであり、被災時の被災労働者又はその遺族の生活を補填するというものであるから、生涯受給年金額と対比し得るものではない。
(四) 給付基礎日額のスライド制は、年金給付を賃金変動の実態により的確に対応させるために設けられたものであって、労災保険法八条の三に規定されている。
右スライド制の適用趣旨は、労働災害がなかったならば当然生じていたであろう被災労働者の昇給昇格的あるいは賃金水準の変動に伴う要素等を、賃金のスライド(上昇)として考慮しているものであって、その補償にかかる実質的価値を維持するために賃金水準の変動に応じて給付額をスライドさせているのである。そして、昭和六一年の法改正前は、若年時被災労働者と壮年時被災労働者の年金格差がスライド制の適用によって更に拡大することとなり、不公平、不均衡が一層大きくなることが問題視されていたのである。
右のとおり、労災保険法八条の三に規定されているスライド制は、原告がいうようなスライド制の運用方法、例えば、スライド率を若年時被災労働者には高く、壮年時被災労働者には低くするといった方法によって、若年と壮年の各被災労働者間の給付の不均衡を解消させるというような性格のものではない。原告は、スライド制の趣旨を無視し、これを単なる格差是正のための数字合わせとして用いるという独自の見解を主張しているにすぎない。
昭和六一年の法改正は、年齢階層ごとに当該年齢階層に属する労働者の大半が受けている賃金の実態を考慮して最低保障額、最高限度額を定め、当該年齢階層の最低保障額を下回る年金受給者については最低保障額を適用し、また、最高限度額を越える年金受給者については最高限度額を適用して、五歳刻みでシフトして年功序列賃金体系による反映を図り、若年時被災労働者と壮年時被災労働者の格差の是正を目指したものである。
4 原告は、最高限度額に近い収入を得ていた者と最高限度額以上の収入を得ていた者とが同一の給付しか得られないのは不公平である旨主張しているが、右の点は法改正全体の中で合理性を考慮すべきものであり、仮にそうした個々の問題点が生じていたとしても、労災保険制度の健全な発展にとって不可欠であるところの、制度上の不公平・不均衡を是正するという大きな全体の枠組みの中で、その法改正の合理性を考慮すべきものである。
そして、それら法改正に合理性が存在し、具体的な諸問題点に対して著しく不合理でなければ、制度上の不公平・不均衡是正を目的とした法改正は合理的と判断すべきである。
5 原告は、一般労働者は定年退職後に社会保険による年金受給があるところ、労災保険の遺族年金者にはそれがないと主張するが、労災保険の被災労働者も社会保険による老齢年金、障害年金等が受給できるはずである。原告も厚生年金保険による「遺族年金」を受給しているところであり(乙第一〇号証)、原告の右主張は失当である。
また、原告は、遺族年金は稼得能力の低下とは関連性はないと主張するが、労働災害がなかったならば、労働者は定年退職等によって労働市場から引退することになり、その結果、稼得能力は低下するはずで、引退後は老齢年金や再雇用による収入等によって生計を維持していくことになり、同一生計を営む家族は、当該労働者の稼得能力減少に基づく生活を余儀なくされることになるのである。ところが、労災による遺族年金受給者がそのまま高額の年金給付を受けられるとすれば、一般労働者と比較してその給付内容が不公平、不均衡として問題視されるのである。
したがって、労働災害によって失われた労働者の稼得能力の補填を行なうとの労災保険制度の趣旨からすれば、遺族年金受給者についても、被災労働者が生きている場合の年齢階層による稼得能力を考慮するのが合理的である。
6 原告は、最高限度額の設定により、亡夫と営んできた生活レベルを低下せざるを得なくなったと主張する。
(一) しかし、ILO第一二一号条約一九条の規定によれば、給付額の計算の基礎となる賃金に最高限度額を設けるときは、すべての保護対象者七五パーセントの者と比較し、これに等しいか又はこれを超えることとなる賃金以上であればよいとされているところ、昭和六一年の法改正による最高限度額の設定は右の基準を満たしているものであるから、決して不合理なものではない。
(二) ところで、原告の遺族年金受給額は、労災年金額三一一万六一〇〇円、特別支給金額七七万九一〇〇円の合計三八九万五二〇〇円であるところ(甲第二号)、さらに原告は、厚生年金保険法による遺族厚生、遺族基礎年金を合計一七三万六一〇〇円受給している(乙第一〇号証)。
右のとおり、原告は、労災保険・厚生年金による遺族年金の合計金額として五六三万一三〇〇円を受給しているところ、これらはいずれも非課税金額であること及び亡夫の死亡により亡夫の生活費(年収の三割五分程度)が不要となったこと等を考慮すれば、原告が従前の生活レベル(亡夫の年収の手取額は九七四万円余り、乙第一一号証)を著しく低下させなければならないものとは考えにくいのである。
7 ボーナス等について
原告は、ボーナス等が賃金総額から除外されているため、実際の年金給付額と被災労働者の賃金とは格段の差が生じていると主張する。
(一) 労基法一一条一項は、「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」と規定しているから、一般的に呼称されるボーナス等は賃金の一部であると考えられる。
しかし、平均賃金の算定については、労基法一二条に、「算定すべき事由の発生した日以前三箇月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額を、その期間の総日数で除して得た金額をいう。」と規定され、同条四項に、「賃金の総額には、臨時に支払われた賃金及び三箇月を超える期間ごとに支払われる賃金……一定の範囲に属しないものは算入しない。」と規定されているところである。
したがって、いわゆるボーナス等は、「三箇月を超える期間ごとに支払われる賃金」に該当するものであることから、平均賃金の算定の場合には賃金の総額に算入されないこととなるのである。
これらの手当、補償等に関する規定の趣旨は、いずれも労働者の生活を保障しようとするものであり、したがって、これらの計算の尺度たる平均賃金としては、労働者の通常の生活賃金をありのままに算定するということがその基本原理となっているのである。
ところが、ボーナス等は、現在においては、収益配分的な性格のものや功労報酬的性格のものであり、労働者の生活を保障するものとは性質を異にするものであって、その時の経済情勢等の不確定な事由により支払額が左右されるだけでなく、全額カットをはじめ相当額の減額があり得るのであって、労働者に対してボーナス等の支払を受ける期待権が完全に保証されているわけではない。そこで、このようなボーナス等の実体に基づき、労基法においては、ボーナス等を平均賃金の算定から除外しているのである。
(二) 右(一)のとおり、ボーナス等は平均賃金の算定にあたっては除外されているのであるが、昭和四九年一一月一日から、他の社会的な損害補填に関する諸制度の動向、企業内付加給付の実情等を考慮して、被災した労働者又は遺族に対して弔慰・見舞等逸失利益以外の面にわたる措置の意味を持ったものとして特別支給金制度が設けられた。
右特別支給金は、労働福祉事業の一環として支給され、保険給付を補充する機能を果たしているものであるところ、特に、ボーナス特別支給金は、ボーナス等の特別給与が給付基礎日額の算定基礎に含まれていないことを考慮して、年金受給者等に対し、援護を図るために設けられた制度である。
そして、原告は、前述のとおり、右ボーナス特別支給金として七七万九一〇〇円を受給しているのである。
しかして、前述のとおり、亡夫の年収の手取額は九七四万円余りであり、そこから亡夫の生活費として三割五分を控除すると六三三万円余りとなるところ、原告は、労災の遺族補償年金及び被災労働者の死亡による厚生年金(遺族年金)として合計五六三万円余りを受給しているのであり、右金額は前記金額のおよそ八九パーセントとなる。
右事実によれば、原告に支給される労災年金額と亡夫が生前に受けていた実際の利益との間には、著しい不合理といえるほどの格差が生じているものとは到底認めることができない。
第三当裁判所の判断
一 弁論の全趣旨によれば、昭和六一年の労災保険法の改正により、年金給付基礎日額に年齢階層別最高限度額及び最低限度額が設定されるに至った経緯並びに右最高限度額及び最低限度額の算定方法は、被告の主張1、2に記載されたとおりであること、また、亡夫の該当する年齢階層の最高限度額が二万〇一八二円であり、ILO第一二一号条約の規定の水準一万二四六七円を上回っていることがそれぞれ認められる。
右認定事実によれば、年金給付基礎日額の年齢階層別最高限度額及び最低限度額は、昭和六一年改正前の労災保険法には被告の主張1(二)の(1) ないし(4) に記載された不公平、不均衡な点が存在したことから、労働災害により失われた労働者の稼得能力の填補を行う労災保険制度の本来の趣旨・目的に照らし、被災労働者の稼得能力の評価を適正化し、労災年金たる保険給付について生じている前記の不公平、不均衡を是正するとともに、年金額に年功賃金体系の要素を加味するため、わが国における一般的労働者の年齢階層別の賃金構造の実態等に基づいて導入されたものであり、その立法目的はもとより立法内容も合理的なものである上、亡夫の該当する年齢階層の最高限度額も適切なものであったと認められる。
二 原告は、昭和六一年の法改正によって最高限度額が設定されたことにより、昭和六二年一月三一日以前に年金受給権者となった経過措置対象者や、最高限度額と同額の平均賃金を得ていた被災労働者の遺族との間で、不合理な差別を受けていると主張する(原告の主張1(四)の(2) 、(3) )。
ところで、労災補償制度は、労働災害によって労働者に生じた損害のうちの一部分を簡易迅速に補償する制度として出発したものであり、わが国の労災保険法は、労働災害に対する使用者の補償責任を法理上の基礎とし、平均賃金を基礎にして算定された定率的な補償を行うことを主な事業目的とするものであって、その財源は、政府補助金のほか、使用者からの保険金によって賄われているものである。右労災保険法による給付は、労働者の使用者に対する民法上の損害賠償とは異なり、使用者の故意、過失及び右故意、過失と損害との相当因果関係の存在は必要とされないうえ、労働者の軽過失については過失相殺の適用もないかわりに、実際に被った全損害を賠償するものではないし、また、遺族補償の受給権者も民法上の損害賠償の請求権者とは必ずしも一致していないものである。
労災保険法は、これまで労働者及びその家族の生活補償を重視する方向での改正が行われてきているが、どの程度の生活補償をすべきかは、その時代における国民意識、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において決定されるべきものであり、当該被災労働者及びその家族の従前の生活程度を完全に維持しなければならないものではない。
したがって、労災保険法の被災労働者及びその家族に対する給付は、必ずしも被災労働者の従前の賃金を算定の基準とする必要はないのであり、合理的な理由に基づき妥当な範囲内で、年金給付基礎日額に最高限度額を設定することはもとより可能というべきところ、昭和六一年の法改正により導入された最高限度額及び最低限度額の設定目的とその内容が合理的なものであったことは前記説示のとおりである。
そうすると、亡夫の年金給付基礎日額が最高限度額によって規制され、原告に支給される遺族年金の額が、最高限度額と同額の年金給付基礎日額を得ていた被災労働者の遺族のそれと同一になったとしても、これをもって不合理な差別的取扱いということはできない。
また、昭和六二年一月三一日以前に年金受給権者となった経過措置対象者については、昭和六一年の法改正時における年金給付基礎日額が保障されるものの、新規受給者との均衡を考慮し、その額が最高限度額を超える間スライドの適用はされないものとされているのであり、経過措置対象者に対する右の措置は合理的なものと認められるから、原告に対する遺族年金支給額と経過措置対象者に対する遺族年金支給額との間に差異があっても、これをもって不合理な差別的取扱いということはできない。
右説示に反する原告の主張は採用できない。
三 原告は、労災保険の保険料は、事業主の支払う賃金総額を算定基礎としているから、遺族年金支給額も徴収金(=労働者の賃金)に比例したものであるべきであり、年金給付基礎日額に最高限度額を設定することは照応の原則に違反すると主張する(原告の主張1(四)の(4) )。
確かに、労災保険法の遺族年金は、被災労働者の平均賃金に基づいて算出された年金給付基礎日額を基礎として、賃金比例の原則によって支給されている。
しかし、合理的な理由に基づき妥当な範囲内で年金給付基礎日額に最高限度額を設定することができることは前記説示のとおりであるから、原告の右主張は採用できない。
四 原告は、年金給付基礎日額に最高限度額を導入した昭和六一年の法改正、これに基づく告示第八四号及び本件処分は憲法一四条に違反すると主張する(原告の主張2)。
しかし、右最高限度額の設定目的が合理的なものであり、その算定方法も妥当なものであって、ILO第一二一号条約の基準も満たしていることは前記認定説示のとおりであるから、昭和六一年の法改正の前後によって、被災労働者の遺族に対する補償内容に差異があったとしても、それは合理的な理由に基づくものであり、憲法一四条に違反するものではない。
五 原告は、昭和六一年の法改正によって年金給付基礎日額に最高限度額が設定されたことにより、右法改正がなければ受給できた年金額よりも低い金額しか受給できなくなったから、右法改正、これに基づく告示第八四号及び本件処分は、憲法二五条二項の社会保障向上義務、国際人権規約一一条一項の「生活条件の不断の改善についての権利=生活向上権」に違反すると主張する(原告の主張3)。
しかし、原告が昭和六一年の法改正がなければ受給できたであろう金額よりも低い遺族年金しか受給できなくなったとしても、それは前記四と同様の理由により、合理的な理由に基づくものであるから、憲法二五条二項及び国際人権規約一一条一項に違反するものではない。
六 原告は、昭和六一年の法改正によって年金給付基礎日額に最高限度額が設定されたことにより、遺族年金の低額化を招き制度的な期待権が侵害されたと主張する(原告の主張4)。
しかし、亡夫ひいては原告に、原告が主張するような法的効果をもった期待権が存在すると認めることはできない。
その理由は、被告の主張4に記載されたとおりである。
七(一) 原告は、若年時被災労働者と壮年時被災労働者間の格差は、年金給付基礎日額に最高限度額を設定することによって解消することはできない、右格差はスライド制の運用方法により解消されていくものであると主張する(被告の主張に対する反論1の(一)、(四))。
しかし、昭和六一年の法改正によって導入された年金給付基礎日額の年齢階層別最高限度額及び最低限度額の制度は、原告の主張に対する再反論3の(四)の一七行目から二二行目までに記載されているとおりであり、若年時被災労働者と壮年時被災労働者間の格差を右の年齢階層別最高限度額と最低限度額の範囲で是正するものであるから、原告の右主張は右制度を正解しないものである。
また、労災保険法八条の三に規定されているスライド制の内容は、原告の主張に対する再反論3の(四)の一行目から一五行目の「ない。」までに記載されているとおりであるから、右スライド制に関する原告の主張も採用できない。
(二) 原告は、年功序列賃金制度の実態に鑑みれば、若年時被災労働者と壮年時被災労働者の年金格差には合理性があるから、あえてこれを法改正の基本とする理由はないと主張する(被告の主張に対する反論1の(二))。
しかし、昭和六一年の法改正による年金給付基礎日額の年齢階層別最高限度額及び最低限度額の設定は、賃金比例に基づく年金格差の存在を前提として、それが被告の主張1(二)の(1) ないし(4) の問題を発生させていたことから、これを是正するために導入されたものであるから、原告の右主張は右法改正の経緯を正解しないものである。
(三) 原告は、若年時被災労働者の生涯受給年金額を総計すると、壮年時被災労働者が受給する額よりはるかに高額となり、逆に不合理が生じているから、若年時被災労働者と壮年時被災労働者との間に年金格差があること自体が問題となるわけではないと主張する(被告の主張に対する反論1の(三))。
しかし、原告の右の主張は採用できない。その理由は、原告の主張に対する再反論3の(三)に記載されているとおりである。
八 原告は、壮年時被災労働者に対する年金支給額と一般の高齢労働者の収入との格差の解消についても、年金給付基礎日額における最高限度額の設定との間に関連性はないと主張する(被告の主張に対する反論2の(一)、(二))。
しかし、原告の右主張は、年齢階層別最高限度額及び最低限度額の制度を正解しないものであって失当である。
九 原告は、平均賃金算定期間中に偶発的な事情により低額又は高額の賃金を得ていた場合の年金給付基礎日額の是正についても、年金給付基礎日額における最高限度額の設定との間に関連性はないと主張する(被告の主張に対する反論3)。
確かに、年金給付基礎日額に被災労働者の収入の実情を的確に反映させるためには、原告が主張するように、被災前三か月ではなく、もっと長い期間の平均賃金に基づいて算出するようにすることも一つの方法である。
しかし、年金給付基礎日額を原則として被災前三か月の平均賃金を基にして算出するとの方法はそのまま維持し、偶発的な事情による不合理性は、年齢階層別最高限度額及び最低限度額の設定により、その範囲で是正するとの解決方法を選択することも立法裁量の範囲内というべきである。
したがって、原告の主張は理由がない。
一〇 原告は、労災保険制度の特殊性(損失填補、生活補償)からして、厚生年金等の他の公的年金制度と符節を合わせる合理性はないと主張する(被告の主張に対する反論4)。
しかし、原告の右主張は採用できない。その理由は、原告の主張に対する再反論2の(一)、(二)に記載されているとおりである。
一一 原告は、労災保険法の給付は、少なくとも被災時の生活が維持される程度であるべきところ、昭和六一年の法改正によって、原告は従前のレベル以下の生活を強いられることになったが、これは、労働者の遺族の生活維持という労災保険法の中枢的理念に抵触し、著しく不合理であると主張する(被告の主張に対する反論7の(二))。
しかし、前記説示のとおり、労災保険法の給付は、必ずしも被災時の生活が維持される程度である必要はないところ、亡夫の年金給付基礎日額は、平成四年に実施された賃金構造統計の五人以上の民営事業場における常用労働者(パートタイム労働者を除く。)の決まって支給する現金給与額の性別・年齢階層別の第1・二十分位数を基にして算出されたところの、亡夫の年齢階層に該当する最高限度額二万〇一八二円であり、右金額はILO第一二一号条約の規定の水準である一万二四六七円を十分に上回るものであるから、原告が従前の生活レベルを維持できなくなったとしても、労災保険法の年金給付基礎日額として著しく不合理であるということはできない。
一二 右のとおり、本件処分が違法であるとする原告の主張はいずれも理由がないところ、甲一の1、2、二、乙四によれば、本件処分は適法なものと認められる。
よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林道春)